路傍の意地

70歳目前オヤジの、叫びとささやき

わが心の映画音楽

1本目

まず思い出すのは、斎藤康一監督の名作「約束」。1972年3月公開。公開時私は19歳で、新宿の映画館で観て感動。岸恵子の大人の女の色気にすっかりやらた。4、5回観たような気がする。当時、サウンドトラックはレコードなどに商品化されておらず、仕方がないのでSONY製のオープンリールのテープレコーダーをこっそり持ち込み、座席で堂々と録音した。

 

撮影は坂本典隆。映像がフランス映画のよう。冒頭の列車のデッキで岸恵子が煙草を吸うシーン。長いレンズで横顔のクローズアップ。こんな映像、これまでの日本映画になかったと、大いに感動した。

 

そして音楽は宮川泰。フランス映画みたいな曲を、と監督からリクエストされたんだろうなあと想像するが、これも1972年当時にしては大変かっこいいものだった。

宮川泰ザ・ピーナッツの「恋のフーガ」などを手掛けた日本ポップス界の重鎮的存在。

 

2006年3月21日、虚血性心不全で死去。享年75。通夜ではご自身が作曲した「ウナ・セラ・ディ東京」が、告別式では「宇宙戦艦ヤマト」の曲が流されたという。

 

ちなみに本作は、あろうことかyoutubeで全編観ることができる。

 

もひとつちなみに、この映画出演がきっかけでショーケン岸恵子さんは大変お親しくなられたという噂が当時飛び交ったが、さもありなんと思った。ショーケンがかっこいい!

 

2本目

紀伊半島の西側の真ん中あたりに、御坊という街がある。人口3万人に達するかどうかというその小さな田舎町の中央部にやはり小さな映画館があった。冬はあくまで寒く、夏は便所(水洗ではない)の臭いが場内に充満する。高校時代だった1960年代後半、ここで何本もの映画を観た。だいたいが3本立てで、通常はそれをふた回り、つまり計6本を固いぼろっちい椅子に掛けて観ていた。体力があったんだなあ、と今になって思う。

 

ここで恩地日出夫の「めぐりあい」(1968年)と出目昌伸の「俺たちの荒野」(1969年)を観て、いたく感動した。ともに東宝の青春映画だが、2作とも川崎あたりの工場で働く若き青年労働者が主人公で、それを演じているのが黒沢年雄酒井和歌子なのだった。酒井和歌子の可憐だったこと! 紀伊半島なんかでうすらぼんやりしている場合ではない! 東京へ行かねば! と強く心に誓ったことだった。

 

そして「めぐりあい」の主題曲は「めぐり逢い」といい、作詞が荒木一郎、作曲が武満徹で、荒木が歌うこの曲をyoutubeで聴くことができる。荒木が作詞をするなら作曲を引き受けよう、と武満が言ったという。いまでも全く古びることのない名曲で、この曲を聴くとアンモニア臭い「私のシネマパラダイス」を思い出しセンチメンタルな気持ちになる。

 

3本目

日本民謡をちゃんと聞いたことなど一度もなかった。

日曜のお昼時、テレビから流れてくるNHKの民謡の放送を聞くともなく聞いていた程度のことだった。のどかで退屈なものと感じていた。

 

3本目は、成瀬巳喜男の「乱れ雲」(1967年)。東宝創立35周年記念作品の1本として制作された。主演は加山雄三司葉子。交通事故で夫を亡くした司と、その加害者である加山が、愛憎入り混じった許されない関係へと転がっていく。

 

その二人の別離のシーン。和室で机をはさんで向き合うふたり。加山が言う。

「僕の好きな津軽民謡を歌います。これを聞いた人はみんな幸せになるという言い伝えがあるんです」。そして加山が歌い始めたのが「南部牛追い唄」だった。

 

これを聞いたときに脳天に直撃を食らったような衝撃を受けた。「この唄を聞いた人は幸せになる?」。冗談だろうという気がした。こんな哀切な唄があるものか、と思った。そして、津軽の人々は、いったどんな苛烈な体験をとおしてこの唄を生み出したのだろうと想像した。

 

音楽担当は武満徹。このシーンで加山に「南部牛追い唄」を歌わせようと思いたったのが武満なのか成瀬なのかは分からない。

 

Youtubeで予告編だけを観ることができる。「南部牛追い唄」の出だしだけ聴くことができる。

 

4本目

5歳で大阪市内に引っ越すまで、家に水道はなかった。共同で使用する井戸から水を汲み、バケツで運んだ。風呂の水はバケツで何度も運び、炊事の水は、台所にあった茶色い大きな陶器の甕にためていた。思えば、手間のかかる時代だった。

 

 

ALWAYS 三丁目の夕日』(2005年)で少年が井戸端で、盥で洗濯しているシーンを見て、そんなことを思い出した。もう60年以上前のことだけれども。この映画にはその頃のディテールが充満している。ミゼット、デパートの屋上のアドバルーン、空地に積まれた土管、駄菓子屋、フラフープ、各家の前に設えてあった木製のゴミ箱、重い綿布団、家の外で七輪で焼いた魚、テレビのある家に集まってみんなで観たプロレス……。

 

スクリーンを見ながら、非常に貧しかったけれど、みんな健気に生きていたんだなあ、と思う。可憐だとさえ思う。昔のことが次々に思い出され、佐藤直紀作曲のメインテーマが流れてくると涙を禁じ得ない。佐藤直紀はこの曲で、第29回日本アカデミー賞・最優秀音楽賞を受賞している。

 

ちなみに、東京タワーは1958年12月23日に竣工している。

 

5本目

スピルバーグの1993年の作品「シンドラーのリスト」。映画を観終わったその足ですぐにサントラ盤を買いに行ったほど、印象深い音楽だった。ユダヤ悲愁(憤怒ではなく悲愁)に強く感銘を受けた。主題曲の演奏はイスラエル生まれのヴァイオリニスト、イツァーク・パールマンyoutubeでその演奏を聴くことができる。https://www.youtube.com/watch?v=yZoGz0EWPY0

 

作曲は映画音楽の世界では巨匠のジョン・ウィリアムズ。彼がユダヤ系なのかどうかは知らないが、学生時代、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で亡命ユダヤ系イタリア人作曲家のカステルヌオーヴォ=テデスコに師事しているから、そうなのかもしれない。

 

1975年2月の寒い日の夕方、アウシュビッツ強制収容所に行ったことがある。22歳の時だった。ポーランドの南の街クラコフから西へ40キロほど行ったところにあるオシフィエンチム(ドイツ語読みでアウシュビッツとなるらしい)という地に収容所跡はあった。チャーターしたタクシー運転手と二人きりで、例の「労働が自由をもたらす」と記された門をくぐり、寒々とした敷地を観て回った。他にはひとりも訪れている人がいなかった。ガス室も、ヘスを吊るした絞首刑代もトイレも焼却所もくまなく見て回った。チクロンBという毒ガスの空き缶や、メガネや、靴や切り落とされた金髪の三つ編みなどが何トンも保存されていた。

 

1975年というのは解放されてから30年しか経っていなかったからまだまだ生々しいものだった。その年の夏、パリのカフェテラスでノースリーブの女性の腕に数字が刻印されているのを目撃したことがある。生き延びた人がまだ元気に生きていたのだ。

 

6本目

ニキータ・ミハルコフの作品「ウルガ」(1991年)。モンゴルの大草原に暮らす羊飼い一家の日々の営み、生き様を淡々と描いたドラマ。モンゴルの大草原を抜けていく風の音、虫の羽音、馬のいななき。よくぞ、こんな世界を映画にしようと思ったものだと感動した。音楽がたまらない。中央アジア的哀愁というのか、スラブ的愁いというのか。

銀座で観た後、すぐその足でCDを買いに行った。

 

91年ヴェネチア国際映画祭で金獅子賞受賞。音楽はエドゥアルド・アルテミエフが担当。アルテミエフは、1970年代のアンドレイ・タルコフスキー監督の映画『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』の音楽を担当したひとでもある。フランス・ソ連の合作。

 

ちなみにウルガとはモンゴルの首都ウランバートルの旧称。

 

映画全編、youtubeで観ることができる。字幕はない。

https://www.youtube.com/watch?v=qm4XebWE_3c&list=PL3EF4810F3C3C5405

 

 

音楽はこちら。

https://www.youtube.com/watch?v=_qIK147JzaU

 

https://www.youtube.com/watch?v=72veAdC_EY4

 

7本目

最後ご紹介するのは、ビレ・アウグスト監督の「ペレ」(1987年)。スウェーデン移民の年老いた父と幼い息子ペレが新天地デンマークで生活を始める姿を描いている。北欧の寒々とした風景の中、最後には、父は息子を旅立たせるのだが、このシーンでは必ず胸が締めつけられる。

 

自分自身が父を捨てるようにして東京に出てきたからか、あるいは当時5歳だった長男のことを考え、いずれ別れねばならないと思ったからなのか。分からない。

youtubeで全編観ることができるが、字幕はない。

https://www.youtube.com/watch?v=Po5nB7tJ2Gc

2時間27分のあたりからの別離のシーンは涙なしでは見られない。

 

 

第41回カンヌ国際映画祭パルム・ドール、第61回アカデミー賞外国語映画賞を受賞している。

 

最後にもう1本。昨年観た映画「COLD WAR あの歌、2つの心」の主題曲が心に残る。監督はポーランド映画で初のアカデミー外国語映画賞に輝いた「イーダ」のパベウ・パブリコフスキ。冷戦下の1950年代、時代に翻弄された恋人たちの姿を、まことに美しいモノクロ映像と印象的な歌で描く。

 

主人公の女性が歌う歌の意味がポーランド語なので分からない。「オヨヨー」と歌っているのだが、何と言ってるんでしょう? わかる方はお教えください。

https://www.youtube.com/watch?v=YjARLDImFuE