路傍の意地

70歳目前オヤジの、叫びとささやき

桜木花道に、なぜ涙してしまうのか

   本当に、不明なことだったと今になって恥じ入る。


   長い間、漫画を見くびっていた。漫画が嫌いだったわけではない。少年マガジンも少年サンデーも創刊号から読み続けていた。二宮光と同じようにボールを握り、ちかいの魔球を投げようと日夜努力していたこともあったのである。小学生のころには石森章太郎に「弟子にしてほしい」と切々たる手紙を書いた覚えもある(返事はこなかったけど)。なのに、いつしか、漫画を読まなくなっている自分がいた。

    社会人になってから、湘南に住む寺田ヒロオ氏の自宅に伺ったことがある。他でもない、「スポーツマン金太郎」の作者である。小学生の頃には、氏の漫画をそっくりそのまま学校のノートに書き写したりしながら、いつの日か漫画家になろうと夢見ていたこともあった。寺田氏はそのころ、すでに第一線から遠ざかり、静かな日々を海辺の閑静な住宅で過ごしていた。そして、最近の漫画はつまらないね、とポロっと本音を漏らされるのだった。
 その頃からだったような気がする、漫画が自分の視野からフェイドアウトしていったのは。

 

    最近、必要があって人気漫画家の作品を片っ端から読むことになった。その中の一人に井上雄彦がいた。目を通したのは「バガボンド」と「リアル」。ん? と思った。なんだか、とても面白いのである。絵がうまい、というのは当然のこと、物語の世界に読者を引きずり込む力が、並大抵のものではない。登場人物のひとりひとりが、その個性をくっきりと際立たせていて、とても魅力的に描きこまれている。確かな「才能」が、ほとんど漫画を読んでいなかった私にもひしひしと伝わってきたのである。

    そんな話を漫画好きの友人にしたところ、「井上雄彦なら『スラムダンク』を読まなくちゃだめだよ。もう、これまでなんど読み返したか分からない。私のバイブルといってもいいほどの作品」なんだという。


スラムダンク」の名は知っていた。しかし、そんなもんはどうせ、ズボンが半分脱げかかったような頭の悪い青年が登場するバスケ漫画なんだろう、とたかをくくっていたのである。

スラムダンク」完全版全24冊をその友人から借りてきて読み始めた。「これまでなんど読み返したか分からない」というだけあって本はすこし傷んでいる。中には、「風呂で読んでて、どぼんとつけちゃったこともある」というのまであって、なんだがガバガバした巻もある。


  しかし、そんなことの一切が気ならないほど、物語には吸引力があった。巻を措く能わず。かっぱえびせんではないが、読み始めたら、やめられない、止まらない状態になり、い、いかん、こんなに熱中して読んだらすぐに終わっちゃう、とセーブをかけ、読んでいいのは一晩2冊までとし、楽しみを先延ばしにする作戦をとったのだが、第20巻以降はその自主規制もふっとんだ。


  山王工業×湘北の試合が始まると、もう、手に汗握る状態で、ページを繰るのももどかしい。
  20、21、22、23、24と5巻まとめて怒涛の一気読み。空が白んでくるのもなんその。
  24巻の真ん中あたりからは、もう溢れ出る涙で、ページが滲んでよく見えん。でもなんだか、無性に悲しい。ぬぐってもぬぐっても涙がこぼれてくるのである。いったい、この感情はなんなのだ? なぜ、こんなに切ないのだ?

 そのことについてこの1週間ずーっと考えていた。そして、なんとなく、自分の「悲しみ」の理由が分かってきたように思う。なぜ、そんなに涙が出てきたのかについて記してみたいと思う。


  しかし、いかんせん、「スラムダンク」を読んだことのない人にとっては、こいつはいったい何を言っているんだろうと、いぶかしまれるような話になるかもしれない。できることなら、どちらさまも、全24巻読了した後にお読みいただけたら幸いなのだが(これも最近知ったのだが、「スラムダンク」は累計1億冊も売れたんだそうである。すさまじい、ポピュラリティである。未読の人のほうが少ないのだろうか?)。

    第20巻から最終巻の24巻まで、5巻分を使って、インターハイのバスケットボールの事実上の決勝戦とも言える、秋田代表の山王工業と神奈川代表の湘北との死闘が描かれる。この1試合だけを描くために、井上雄彦は約1200ページを費やすのである。そんな漫画、これまで、見たことも聞いたこともない。恐るべきしろものである。

    物語は湘北高校バスケットボール部を軸に展開する。すでに読んだことのある読者が、その記憶を喚起するためにも、メンバーの名前を書いておこう。キャプテン赤木剛憲木暮公延、桜木と犬猿の仲の流川楓宮城リョータ三井寿、そして主人公ともいうべき桜木花道。その名前を見るだけで、懐かしいシーンが甦ってくるはずである。

   そんな彼らが一丸となって、最強のチーム山王工業に立ち向かう。1200ページ全篇に汗が飛び散り、ぜーぜーはーはーと激しい呼吸音がひっきりなしに響く。読んでいるこちらも、心拍数が上がるような死闘が延々と繰り広げられる。主人公・桜木花道はさしてバスケに興味もなかったのだが、ひょんなことからそのメンバーに加わることとなり、特訓の成果もあって急速に成長、リバウンド王として、チームになくてはならぬ存在となっている。

    後半残り2分24秒、74対66で山王がリード。宮城の左膝に当たったボールがコートの外に飛び出そうとするその瞬間、相手ボールにするわけにいかないと、桜木は身を挺して、ボールをコート内に投げ戻す。しかし、自身は体勢を大きく崩して大会委員が居並ぶ机に背中から激突する。

    残り1分40秒、76対69で依然山王リード。このころから、桜木の背中の痛みが激しくなる。「いてえ・・・ やっぱいてえ・・・ 何だよ これは」と桜木自身も、ひょっとするとこれは「選手生命にかかわるダメージかもしれない」と、その痛みに不安を感じ始める。にもかかわらず、激しいプレーに挑み、ついにコートサイドに倒れこんでしまう。もはや、これまでかと周囲の人間は誰しもそう思った。

    残り1分9秒、76対71で山王リード。気力で立ち上がった桜木はプレーに復帰しようとするが、安西監督はそれを押しとどめる。このままプレーを続行させれば「選手生命」そのものが危ぶまれることを誰よりも察知していたからに他ならない。しかし、その監督に向かって汗をぬぐいながら桜木が尋ねる。
「オヤジの栄光時代はいつだよ・・・・ 全日本のときか?」
 応えに窮する安西監督に、畳み掛けるように花道は言う。
「オレは・・・ オレは今なんだよ!!」
 桜木は監督の指示を無視して、自ら「交代」を告げる。不安の視線を投げかける周囲の目をよそに、監督に鮮明に告げる。
「オヤジ・・・ やっとできたぜ オヤジの言ってたのが・・・・ ダンコたる決意ってのができたよ」

 桜木の鬼気迫るディフェンスと三井の3点シュートが決まり、残り49秒、76対74で山王リード。2点差。
 流川のシュートが阻止され、ボールがコート外に飛び出そうとするのを、再び桜木が身を投げ出して拾い上げ、宿敵流川に投げ返す。背中に甚大なダメージを抱える桜木にとってはほとんど自殺行為とも言えるようなプレーである。ボールを受け取った流川は、3点シュートをきれいに決めて、ついに逆転。77対76、湘北リード。残り24秒。

  秒針が刻一刻と回っていく。15秒、14秒、13秒、12秒・・・。
  残り9秒4、非情にも山王のシュートが決まる。78対77で山王逆転。その瞬間、桜木は自ポスト下に向かって気力を振り絞り全力で走っていく。必死の形相である。赤木からのすばやいパスが流川に渡る。残り4秒。流川がドリブルで切り込む。残り2秒。右45度で、待ち受ける桜木。
「左手はそえるだけ・・・」と特訓での教えを自らに言い聞かせる。桜木がフリーであることを見た流川は、すかさず桜木にパス。残り1秒。桜木、シュート!

  ボールはゆっくり弧を描いてネットに吸い込まれていく。

 タイムアウトの笛。試合終了。79対78、ついに湘北は山王工業を下す。

 大歓声、涙、汗、激しい呼吸音、蒸気を上げそうなヒートアップした体温。
 描きこまれた全員が号泣している。涙、涙、涙。
 当然のように読んでいるこちらも涙、涙、涙。
 ひょっとしたら、井上雄彦自身も泣きながら描いていたのではないか、とさえ思わせるようなカタルシスである。

   多くの読者が、このシーンで涙を流したはずである。


   バスケに青春をかけた高校生たちが、長く激しい試練ののちに、ついに自らの手で勝利をおさめる。その歓喜の瞬間を一緒になって迎えるうちに、読者は感動の渦に巻き込まれてしまうのである。


  いってみればステレオ・タイプのスポーツ漫画のカタルシス・パターンである。情熱をかけて打ち込むべき何事かがあり、それが成就した瞬間に立ち会うことによって、ともにその感動に打ち震える。

 

  しかし、である。実は私が味わった「切なさ」はそのようなものではなかった。「感動」ではなく「悲しみ」だったのである。いったい、それは、どこからやってきたのか?


スラムダンク」のエンディングについて、これまで、誰もそのような指摘はしなかったし、ただの一人もそのようには読み取らなかったようなのだが、思い切って書いてしまおうと思う。一つの比喩として。

 

  実は、桜木花道は、死んだのである。

  残り2分24秒の時点で、桜木はルーズボールを拾い上げようとして、背中から机に激突している。そして、残り1分40秒の時に、痛みに耐えかねてコートサイドに倒れこむ。桜木は、重篤な脊椎損傷を負っている。


  それ以降に展開される試合はすべて、花道のうすれゆく意識の中で繰り広げられる「妄想」にすぎないのである。そのことに多くの読者は気づいていない。もちろん、作者である井上雄彦さえ、気づいてはいない。


 時に物語は作者の手を離れて、物語それ自体が生き始めることがある。

  残り1分9秒、朦朧とした桜木は、監督の許可も得ず、勝手に自分で選手交代を告げてコートに戻る。そもそも、「妄想」の世界以外に、そのようなことはありえない話である。「このままプレーさせておくべきではないと分かっていた」と冷静な判断を下す安西監督が瀕死の選手のプレーへの復帰をすんなり許可するわけがない。体を張って制止するはずなのである。物語ではそのシーンはコミカルに小さいコマで描かれている。そのようにスルーさせるしかないような、ありえない話だからである。そのようなありえない話は「妄想」の中でしか起こりえない。

   あるいは、全24巻中、23巻と四分の三巻まで犬猿の仲だった桜木と流川が、最後の最後に絶妙のコンビネーションを2度見せる。最初は身を挺して救ったルーズボールを、桜木が流川にパス。2度目は、切り込んだ流川から桜木への勝利をもたらす奇跡的なパスである。いくら漫画だからといって、そんな漫画のようなこと(!)が都合よく2度も起きるものではないのである。それも、桜木が無意識のうちに切望したことであったとすると、分からぬ話ではない。桜木が誰よりも憎んだ流川は、誰よりも愛した仲間だったのである。冥冥たる意識の中で、桜木はそのことを、確かに実感したはずである。

   桜木がその短い一生をコートで終えた以上、物語は終わるしかない。続けようにも主人公がいなくなっては、話が続かない。「スラムダンク」の唐突なエンディングはそのように考えれば、すんなり飲み込めるはずである。

   桜木花道は死んだ。明日のジョーが白く燃え尽きたように、青春の熱情の中で、その短い生を終えたのである。そのことが、切なかったのである。

「オヤジ、おれが一番輝いているのは今なんだよ。今、燦然と輝くことができるなら、この先の人生なんか棒に振ったっていい。今、今、頼むからオレに輝かせてくれよ!」


  そんな風に絶叫し、破壊された背中を震わせながら、花道はコートに舞い戻る。

    これまで、いったいどれだけの青春が、その熱情に翻弄されるように、おのれ自身を焼き尽くしてしまったことか、と思うと涙を禁じえなかったのである。

    青春の渦中にいるものは、その「青春の熱情」が一時的なものでしかないことになかなか気がつかない。気がつかないばかりか、時に永遠に続くものなのだと錯覚してしまうことさえある。
   年齢を重ねると分かるが、「熱情の季節」は一瞬で終わる。その後には、地道で平穏な長い日常がやってくる。満員電車に乗り、タイムカードを押し、風呂上りに缶ビールを飲むような、退屈といえば退屈、穏やかといえば穏やかで凡庸な日常が訪れる。多くの人間は、激動の青春の季節を過ごした後に、なだらかにそのように大人になっていく。

   だけれども、中には、そのような人生にきっぱりとノーを突きつける青春もある。桜木花道とは、そんな青年の一人だったのである。

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2008年3月記