路傍の意地

70歳目前オヤジの、叫びとささやき

あくびをするときは手で口をかくせ

2008年2月にこんなことを書いていた。

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  前項で引用した内田樹氏の著書「ひとりでは生きられないのも芸のうち」(文藝春秋)の中に、とても興味深いことが書いてあった。その一文のタイトルは「子どもに触れさせてはいけないもの」。


 そこで、内田氏は、「金は不浄」という禁忌の感覚は1950年代まで、日本のふつうの家庭に存在していた、と書いている。

<私の子ども時代までは「子どもの前で金の話はしない」ということは日本の家庭の常識であったし、「子どもが人前で金の話をする」ことは即座にゲンコツを食らうほどの禁忌であった。
 高校生の頃、仲間とレストランで食事をしたことがあった。みんなばらばらのものを頼んだので値段が違う。レジで代金を支払うときに、誰がいくらだっけとざわついていたら、中のひとりがやや気色ばんで、「金のことで人前で騒ぐな」といって全員の分を払ってさっさと扉を押し開けて出て行ってしまった。私はその剣幕に一瞬あっけにとられたが、「なるほど」と得心した。>(P209)

 ほぼ似たような時代に育ったので、この感覚はよく分かる。

 たとえば、人にお金を渡すときに、現金を裸で手渡すことは、はしたない行為であると教えられていた。慶事、弔事にお金を包んで贈るのは、お金が「品のないもの」であるという感覚が、みんなに共有されているからなんだろうと思う。おそらく、こういった感覚は、アメリカ人には絶対に分からないだろう。

  死んだ父親からはよく、人に金を貸すな、とも言い渡された。なんで唐突にそんなことをいうのかといぶかしんだが、「特に、親友には絶対、貸すな。そのことで親友を失うことになるかもしれないから」と聞いて、そんなものかと思ったものだった。その忠言にもかかわらず、成人した私は、しばしば人にお金を貸した。そして、確かに、気まずくなったケースは一度ならずあった。

 先人のアドバイスはきくものだなあ、とそのときに思った。
ついで思い出すのは、なぜ父がそんなことをアドバイスしてくれたのか、よく分からないが、「鶏口となっても牛後となるなかれ」と折に触れて呪文のようにいい続けていた言葉である。息子にそう告げずにはいられない、どういう経験が父親にあったのかはついに聞かずじまいだった。

 思い起こすと、禁忌というほどのことではないが、「しつけ」として、今はもう誰も注意を喚起しなくなったような事柄を、父母からしつこく言い渡されていた気がする。

「人より先に風呂に入るときは、必ず、その人に、お先にご無礼します、と言え」
 薪で沸かした風呂に家族は順番で入っていた。今のようにシャワーもなければ追い炊き機能もない。風呂桶にたまったお湯がすべてで、それを全員で大事に使ったのである。あとの人のことを考えると必要以上にぬるめてはならず、お湯を使いすぎてもいけなかったのだ。だから、風呂に入るときには、いつも緊張を強いられていた。

「食事のときは黙って食べろ。ぺちゃくちゃ喋るな。脇をしめて食え。出されたものは絶対残すな」

「ごはんのおかわりをするときは、茶碗を両手で渡せ。いただくときは必ず両手で受け取って礼を述べよ」

「贈答品はそれをくれた人の前で包装紙を開けたりすることは絶対に慎め」

「トイレのスリッパは次の人がはきやすいようにそろえて脱げ」

「あくびやくしゃみをするときは、必ず手で口をかくせ。口の中を人の視線に晒すべきではない」

 口の中や、耳や目や、普段露出していない肉体の部分を人目に晒すことは、恥ずべき行為だったのだ。電車の中で化粧をしたり、物を食したりすることなど、とんでもないことだったのである。

 日常生活のさまざまなシーンで、実にいろんなことをしつけられたことを思い出す。その中には、こんなものもあった。

 子どもの頃、食事のときに沢庵をバリバリ食べていた。すると、母親が、「沢庵は一口で噛み切らないで、必ず二口で噛み切りなさい。一口だと、歯形がそのまま残って、美しくない」と言ったのである。
「食べ物に残された歯形は美しいものではない」。
 子ども心に、ふーむ、と思った。そういうものなのか、と。
 そうしつけられてから、もう何十年もが経つ。

 今年の正月、ふるさとに帰省し、母親と食事に出かけた。
 田辺市の国道42号線沿いにある「銀ちろ」のカウンターにふたり並んでお刺身定食を食べた。
 80歳になる母は、カウンターの椅子の上で小さく見えた。
 背中を丸めて、静かに、すこしづつ箸を運ぶ。そのペースにあわせて私もゆっくりと食べていた。
 見るともなく、ふと母の皿を見ると、そこには、きれいに二口で噛み切られたかまぼこがちょこんと乗っていた。

 すこし、胸がつまった。