路傍の意地

70歳目前オヤジの、叫びとささやき

権代美重子著「日本のお弁当文化 知恵と美意識の小宇宙 」を読む

 

   普通の人の数倍はお弁当を食べて生きてきた、といっても言い過ぎではない。八十~九十年代、「週刊文春」編集部に延べ十二年間在籍していたが、その間、ずっと土日は出勤日だった。土曜日はまだいくつかの店が出前をしていたが、日曜日となると出前に応じてくれる店がない。そんなわけで、十二年の間、日曜日はずっと弁当を食べ続けた。四ツ谷・三金のトンカツ弁当、今はもうない麹町の割烹・葵の松花堂弁当、同じく今はなくなってしまった平河町の焼肉・東生苑のカルビ弁当、名前は忘れてしまった赤坂の弁当屋の鮭弁当……。食べも食べたり、ざっと六百箱(と数えればいいのかな)。その他の編集部時代にも欧風カレー弁当などを食べまくっていたから、これまでの人生で軽く二千食は食べただろう。それだけ食べたら、弁当など、もう見たくもないのではないかと思われるかもしれないが、あにはからんや、お弁当が大好物で、思わず本書を手にとってしまったという次第。

 本書で、日本のお弁当がパリでも大人気であることを知った。ヨーロッパでは日本のマンガやアニメが人気で、子供たちは食い入るように見入っている。で、主人公が竹の皮に包まれたおにぎりや、キャラ弁やらタコさんウインナーを食べるシーンに出くわすと「こりゃなんだ!」とびっくりするらしい。そんな素朴な関心があったものだから、今ではお弁当専門店が繁盛しているという。

   以下は本書に記されたエピソード。江戸時代。各藩大名は月に三回、将軍に拝謁するため江戸城本丸に登城。このときに持参したのが「御登城弁当」なるもの。ある藩主のメニューが残っている。「椎茸、干瓢、味噌漬大根、握飯」。将軍の手前、ずいぶんと遠慮していたことが分かる。

 一方、庶民の弁当はというと、行楽と切っても切れないものだった。なんといっても「花見弁当」。着飾って、飛鳥山にお花見に出かける人たちの上等なお弁当はお重に入って豪華絢爛。「桜鯛、わか鮎、早竹の子、早わらび、よめな、つくし」などバラエティ豊富。今でもこんなお弁当はなかなか味わえない。もっとも、熊さん八っあんになると「卵焼きに蒲鉾」とぐっと質素になるのだが。

 庶民のもうひとつの娯楽が「歌舞伎観劇」。その芝居と芝居の幕間にちゃちゃっと食べるために考えられたのが「幕の内弁当」。忠実に再現されたものが写真で紹介されているが、そのボリュームにギョッとさせられる。「円扁平の焼き握り飯十個に玉子焼・蒲鉾・煮物(蒟蒻、焼豆腐、干瓢、里芋)」(『守貞謾稿』)。今の値段に直すと三千円也。おにぎりの大きさはコンビニで売っているものくらい。とても十個は食べられそうにない。

 そして近年。忘れてならないのが「駅弁」。第一号は明治十八年に宇都宮駅で売られた。「握り飯二個とたくあんを竹の皮で包んだもの」。鉄道会社の委託を受けて地元の旅館が売り出したものだという。

   その駅弁も今では百花繚乱。新神戸駅の「夢の超特急0系新幹線弁当」やら「あっちっち但馬牛すきやき弁当」やら、高松駅の「アンパンマン弁当」やら、松阪駅の「黒毛和牛モー太郎弁当」やら、鳥取駅の「山陰鳥取かにめし」などがカラー写真で次々に紹介されている(本書の特徴はカラーの図版が多くてとても楽しく、かつお腹が減ること)。

 もっとも、本書は単にお弁当だけではなく、日本人の食と食文化にまできめ細かく言及していて、お腹だけではなく、頭の方もグーッと鳴ることになる。

 

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2020年7月 月刊「hanada」に寄稿したものです